2005年9月29日(木)


世界の中心で、愛をさけぶ スタンダード・エディション [DVD]本日、TV放映されると聞いてから楽しみに待っていた『世界の中心で、愛をさけぶ』を、マタリと鑑賞してみました。
菊は、劇場公開時に一度観ているんですけれどね。
でもやっぱり、何度観ても良いですね『セカチュー』。
先が分かってても泣けますねシッカリ。
こういう純愛映画、私は、好きだなあ…(*^_^*)


この映画を観てたら……なんだか『僕たちの時間』について、まだまだ書き足りない部分があることを思い出して、とっても書きたくなってしまいました。
なんだろう、自分でも書くのはすごく“痛い”はずなんですが。
すごい書きたくなってきた。
やっぱり、良い作品に触れることって、創作意欲にも繋がるのかもしれないわ。


この『セカチュー』について、わざわざ“病気”というものをネタにしてお涙ちょうだいストーリーにしてるからやだ、人が死ぬからやだ、って意見を言われたことがあるけど。
それを言われたら、拙作『僕たち〜』も、同じように受け取られてしまうものなのかもしれないけど。


…でも、書き手としては、決して“病気をネタにして読者を泣かせよう”って魂胆は、まったくもって、無いハズなんだけどなー。


思い出すだに、そう穿った見方をされてしまうのが、何となく悲しくなるです。
私は、確かに“病気”とか“死”とかいうものを題材に扱って小説を書いてみたけど。
それで言いたかったことは、あくまでも、「泣いてちょうだい」ってコトじゃなく、「こういう恋愛もあるんだよ」ってことに、過ぎないんだけどな。あくまでも私的には。
改めて思い返してみたら、なんで主人公を“死”と直面させようと思ったのかは、もう覚えてないんですが。
でも、きっと“究極の純愛”というものを、書きたかったからじゃないかと思うのよね。以前《ウラNotes》の方にも書いたけど。


それで実際に書いてみて……それがキッカケになって、今は、より深くまで書きたくなっただけ、なんだけどね。


より深いところを書きたくなった理由なんて、やっぱり特に無いんじゃないかと思う。
モノカキが“書きたい”と思うのって、理由なんて無い衝動なんですよね。…それこそ恋愛感情みたいに。
書きたいと思った。だから書く。…それしか無いんですよね。
そんなだから、理由を問われれば困るけど、それでも決して「読者を泣かせたいから」という理由で軽々しく死を扱うことは、作品を“発表する”という以上、多分きっと、モノカキという人種には出来ない芸当なんじゃないかと思う。
…ま、これは私一個人だけの意見かもしれないけど。


今日の『セカチュー』に触発されて、『僕たち〜』をより深く掘り下げて書きたくなったのは事実だけれど。
でも多分、まだまだ実際には、深いところまで私には書けないだろうな…ということも、すごくとても思います。
それくらい、やっぱり“書く”ということを考えると、扱うにしては“死”っていうテーマは、ものすごく重いのですよね。現状の私の力量じゃ、触れることさえ躊躇われるくらいに。
だから、書けるとしたらいつになるか分からないけど。
でも、いつかは書いてみたいと思います。
それが結果的に、『セカチュー』のように、読んでくださった皆様を感動させられるような物語になってくれれば、嬉しい限りなんですけどね(^_^)


とりあえず、自分がまだ“書きたい”と思えることに、少し安心できました。
このまま“書きたい”とさえ思わなくなってしまう前に、早く復活したいと思います。