2005年8月6日(土) 『広島平和記念日』『広島原爆忌


皆様ご存知、広島に原爆が落とされた日です。――1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイ』が、広島市上空で世界初の原子爆弾リトルボーイ』投下。
日本人である以上、忘れてはいけない、知らなくてはいけない、…すっごく切なくて苦しくなる“記念日”です。


* * *


8/5、18:55〜、TBSで放映された特別番組を観ました。
『戦後60周年企画〜“ヒロシマ”』
その名の通り、広島原爆投下について纏められたドキュメンタリー番組です。
どこかの外国の番組のリメイクということですが、すごく詳細かつ分かりやすく構成されていたと思います。…おかげで、すごく胸が苦しい。泣きたい気持ちが未だに拭い去れません。


原爆慰霊碑に刻まれている言葉。――『同じ過ちは繰り返しませんから』。


…このヒトコトに尽きる。本当に。
心の底から、そう思います。
同じ過ちを犯さないために……一度犯した失敗を知らなければいけない。知って、各々が受け止めなければいけない。そして、犯した過ちを“過ち”として後世に伝えていかなければならない。
そういうことを、すっごく真剣に、感じさせられました。
――筑紫哲也、すっげえいいこと言った!(拍手)


TBSって、普段から面白い番組作るよなあ…って思っていたけど。
この番組を観て、改めてシミジミ「素晴らしいTV局だ!」と思いましたですよ。


…ただ、原爆開発者であり原爆投下チームの一員であり爆発後の映像を残した人物と、広島の被爆者との対談は、――ハッキリ“悪趣味”だと思ったけど(-_-;)


戦争は切ないです。…誰が悪いわけでもないから。
善も悪も全てが混ざり合っていて、その所在がハッキリしなくて。
そんな混沌とした時代を生き抜いた人々は皆“犠牲者”です。
“加害者”も“被害者”も無い、――等しく戦争の“犠牲者”。
それぞれがそれぞれの信念のもとに動いたというだけ。
それが“結果”として後世に残っただけのこと。
その時代を生きていたというだけで、すべての人間が“有罪”であると同時に“無罪”でもある。
だから、どちらかが一方的に謝罪を求めることなど、できはしないこと。


大切なのは……誰かを責めることではなくて、赦せるということではないでしょうか。――それは決して簡単なことではないけれど。


それを考えた時、日本人ほどお気楽な民族は無いと思った。…だって、原爆まで落としてくれやがった敵対国と友好関係を築くことが出来るんだからさー。
他の国では、多分そうはいかないよね。
それが“日本”という国の“日本人”という民族の、長所でもあり短所でもある。


…日本は決して“被災国”では無いから。
戦争という時代の魔物に翻弄されて、幾つもの国を蹂躙してきた“加害国”でもあるのだから。
きっと韓国や中国には、日本に対して良い感情を持たない人々など、くさるほどゴロゴロ居ると思う。…戦後60年を経た現在もなお。


受けた“傷”を赦すことと、傷をもたらした“事実”を忘れずにいること。――お気楽で都合の良い大和民族は、多大な“傷”を受けたことは赦せても、抉った“傷”には知らんふり。
…それってサイテーくさくない?


こういうドキュメンタリー番組を通じて……誰もの意識の中に“平和”や“反戦”という言葉が深く浸透していってくれればいいと、切に願います。
そして、過去を赦し、過去を忘れず、過ちを繰り返すことの無い未来が、結果的に生まれてくれればいいよね。
それに、簡単にはいかないとは思うけど、この世界から核兵器が全て一掃されてくれることを、願ってやみません。願わずにはいられません。
これだけは、世界唯一の戦争による核兵器の被災国であるからこそ、日本人だけが声を大にして叫んでいいことじゃないかな。


意識する、ということは、ひとりひとりが出来ること。
それは小さいものでしかないけれど、決して無意味なことじゃない。
いつか必ず願うことがどこかで“力”になるのだ、と……それを信じ続けたいです。